文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/Stellantis

イタリア版・赤旗まつり

イタリアでもウクライナ-ロシア情勢が刻々と報じられている。我が街シエナの商店主の多くは「困ったものだ」と嘆く。ロシアの観光客は気前が良いことでそれなりに知られていたからだ。それは一部の高級別荘専門不動産店の物件案内に、イタリア語や英語と並んでロシア語が併記されていたことからもわかる。

イタリアとロシアとの近さは、今日に始まったことではない。1996年に筆者がイタリアに住み始めたとき、その政治的・文化的近さに驚いたものだ。新聞雑誌スタンドには、一般紙と並んで左派系新聞の日刊紙「連帯(ルニタ)」が並んでいた。街の壁には選挙のたび、旧イタリア共産党の流れを汲む政党のポスターがたびたび貼られ、そこには鎌とハンマー、そして星を備えた赤い旗が描かれていた。

背景には第二次世界大戦後、イタリア共産党がたびたび連立与党に参加できたうえ、長年にわたり左派政党として西欧最大級の勢力を維持してきたことがある。地理的にも東隣には社会主義圏である旧ユーゴスラビアがあった。

筆者が住むシエナが属する中部トスカーナ州は、ボローニャやモデナがあるエミリア=ロマーニャ州と並んで、イタリア20州のなかでも中道左派政党の勢力が強い州である。
シエナでは、そうした政党のひとつである「民主党」によって、毎年夏に「連帯祭り」と称するイベントが開催されるのが常だった。
知り合ったばかりの地元のおじさんが連帯祭りに誘うので、「いやー、政党系は苦手なんだよな」と言いつつ、興味本位でついて行ってみたことがある。会場には、党旗をプリントした赤い旗がいくつもはためいていた。名実ともに“赤旗まつり”である。
ところが入ってびっくり。無数の食べ物屋台だけでなく、射的まで並んでいて、まるで縁日だった。政治色の薄さが、かえって人々の間に左派政党が浸透していることを実感させた。

今になってみれば本家・ソビエト連邦崩壊から僅か5年しか経過していなかったわけだから当然といえば当然だ。しかしながら西側の国で、ここまで“ロシア指数”が高いことに驚きを禁じ得なかった。

画像: 2010年3月の地方選挙ポスター掲示板を何気なく写したスナップ。中道左派および左派政党のものが目立つ。

2010年3月の地方選挙ポスター掲示板を何気なく写したスナップ。中道左派および左派政党のものが目立つ。

安さ+タフさをアピールした“ソ連版フィアット”

もうひとつ、イタリアに住んで驚いたのは、「旧ソビエト車を頻繁に見かけること」だった。

イタリアにおけるロシアとの近さは、自動車の世界をも変えた。1960年代、世界戦略を進めていたフィアットと、自動車産業の近代化を目指すソビエト政府の思惑は一致した。1966年8月、同社のヴィットリオ・ヴァレッタ社長はモスクワに赴き、イタリア動産機構(IMI)支援のもとソビエト政府とライセンス生産契約を締結する。その結果として、アフトワズ社のトリヤッティグラードの工場が1970年に稼働。フィアット「124」をベースにしたアフトワズ「VAZ(ラーダ) 2101」が生産開始された。なお、同車は年代やボディタイプ、さらに仕向け地によって、「ジグリ」も含めさまざまな名称が用いられたが、以後本稿ではラーダ2101シリーズとする。

ラーダ2101シリーズは東欧諸国だけでなく、西側諸国にも輸出された。いち早く上陸したのはイギリスで、右ハンドル仕様が容易された。続いてフランスでも1973年にジャック・ポシュという輸入代理店によって販売開始されている。

ラーダ2101シリーズは東欧諸国の劣悪な道路状況に耐えられるよう、各部が強化されていた。そのため西ヨーロッパでも低価格とともに強固さもセールスポイントとされた。実際、フランスでの初期のキャッチは「ラーダ、それをタフと呼ぶ」だった。

参考までにオリジナルのフィアット124は1974年にカタログから消えている。これは筆者の想像だが、プリミティヴな124熱烈ファンの一部は、ラーダ2101シリーズにも関心を寄せたのではなかろうか。1971年にダットサン・ブルーバードが「U」こと4代目に進化しても、継続生産されていた「510」型に一定の人気が集まったのに似たマインドがあったに違いない。イタリアでもトリノに存在した「ラーダ・チェントラス」という企業が、「ラーダ・プリマ」の名前で1990年から1992年に輸入していた記録がある。価格は5千ユーロ以下という、極めて戦略的な値付けがなされていた。

画像: 「ラーダ2101」のベースとなった「フィアット124」。1966年。

「ラーダ2101」のベースとなった「フィアット124」。1966年。

画像: ワゴン版であるラーダ「2102」の基となったフィアット「124ファミリアーレ」。

ワゴン版であるラーダ「2102」の基となったフィアット「124ファミリアーレ」。

画像: アップデート版として1980年に投入されたラーダ「2105」は、角型ライトが与えられた。マルタ共和国で2008年撮影。

アップデート版として1980年に投入されたラーダ「2105」は、角型ライトが与えられた。マルタ共和国で2008年撮影。

画像: 同じくマルタで撮影したラーダ2105。ラーダ2101系は「2107」まで発展し、2012年まで生産された。

同じくマルタで撮影したラーダ2105。ラーダ2101系は「2107」まで発展し、2012年まで生産された。

アンチSUV派とソビエト・ファンに支えられて

しかし、イタリアを含む西側世界で最もヒットしたロシア車といえば、同じくアフトワズが1976年に生産開始した4輪駆動車「ラーダ・ニーヴァ」である。
筆者がイタリアにやってきた1990年代末に関して背景を記せば、「BMW X5」「メルセデス・ベンツMクラス」に代表されるように、4WD車がSUV化・ゴージャス化の一途を辿っていた。そのアンチとして、ルーマニアの「アロ」、旧ソヴィエト系の「UAZ」などスパルタン系4駆が一定の支持を集めていた。ラーダ・ニーヴァはその代表だったのだ。筆者もニーヴァのユーザーから「いまどきのSUVのようなきれいな内装のところに、枝落とししたオリーブとか、今ハンティングでしとめてきたばかりのイノシシとか載せられるかよ」と真顔で言われたものだ。
「ソビエト・ファン」という人たちもイタリアにはいて、腕時計やカメラなど旧ソビエト製の無骨ともいえる製品に魅力を感じる人たちの“上がりアイテム”として、ラーダ・ニーヴァを好む人がいた。
ただし年々厳しくなる欧州の統一排気ガス基準「ユーロ」に対応しきれなくなり、イタリアでは2014年をもって正規輸入が終了してしまった。

ラーダ2101シリーズに話を戻せば、しばらく前に地中海に浮かぶ隣国・マルタ共和国を訪れたとき、たびたび目撃した。英国から流れ着いた中古車である。
いっぽうヨーロッパ最大級の中古車取引サイト「オートスカウト24」でも、ラーダ2101系はひそかな人気を保っている。一例として33年落ちの1989年式にもかかわらず、5千ユーロ(約68万円)という値段は、コレクターズアイテムに昇華していることを匂わせる。
ラーダ・ニーヴァもしかり。LPG併用仕様に改造することで排ガス規制による禁止税をクリアして愛用する人を見かける。ふたたび「オートスカウト24」で確認すると、並行輸入によるラーダ・ニーヴァの新車は3万ユーロ(約410万円)超という強気なプライスタグが下げられている。

画像: ラーダ・ニーヴァ。2019年イタリア中部トスカーナ州で撮影。

ラーダ・ニーヴァ。2019年イタリア中部トスカーナ州で撮影。

画像: こちらのラーダ・ニーヴァは2010年モデル。思わずミスマッチを狙ったのかと疑ってしまうELEGANCEというバージョン名が付けられている。2020年シエナで撮影。

こちらのラーダ・ニーヴァは2010年モデル。思わずミスマッチを狙ったのかと疑ってしまうELEGANCEというバージョン名が付けられている。2020年シエナで撮影。

しかしながら、たとえ強固な旧ソヴィエト系モデルといえど、永遠に使えるわけではない。将来ファンはどうするのか?そのようなことを考えながら、筆者が10年ほど前まで住んでいた街区を先日通りかかったときだ。かつてラーダ・ニーヴァを何台も乗り継いでいた家庭の前に、中国製「グレートウォール(長城汽車)」製トラックが佇んでいた。スパルタン系を追い求める人は、一般ユーザーよりも思考が柔軟だ。

2022年5月現在に話を戻せば、西側諸国の自動車メーカーが次々とロシア工場での生産を休止している。2008年以降ルノー傘下となったアフトワズも稼働をストップした。このままロシアの孤立が続くと近い将来ロシアでは、終戦直後の技術でクルマを造り続けた社会主義時代のように、2022年時点で時計の針が止まった自動車が、接収した工場で生産されてゆくのではないか、などと想像する昨今である。

画像: 「グレートウォール(長城)」製ピックアップトラック「スティード」。2020年春、シエナ県で撮影。

「グレートウォール(長城)」製ピックアップトラック「スティード」。2020年春、シエナ県で撮影。

画像: マルタで見かけたラーダ2105。車体前部では植木、後半とルーフではDVD&CDを販売している。

マルタで見かけたラーダ2105。車体前部では植木、後半とルーフではDVD&CDを販売している。

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