文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

画像: 2020年は突然F1の開催地にもなったムジェッロ・サーキット。たびたびヒストリックカーのファンイベントの舞台にもなる。

2020年は突然F1の開催地にもなったムジェッロ・サーキット。たびたびヒストリックカーのファンイベントの舞台にもなる。

スピードの聖地だけではなかった

ムジェッロ(ムジェロ)と聞いて、多くのCOVO読者が思い浮かべるのはサーキットであろう。
全周5,245kmのムジェッロ・サーキットは、長年にわたりロードレース世界選手権(モトGP)イタリア・グランプリの開催地として知られてきた。2020年9月には史上初のF1トスカーナ・グランプリが催されたことをご記憶の方も多いだろう。

こうしたレース以外にも、週末にはヒストリックカーやファンイベントに、さらには市販前車両のテスト走行にも年間を通じて使われている。

画像: MINIのインターナショナル・ミーティングにて。

MINIのインターナショナル・ミーティングにて。

このムジェッロ、イタリア中部フィレンツェ旧市街からクルマで北へ約35km、およそ1時間の山間にある。筆者が住むシエナからも、クルマで1時間半程度の場所だ。

画像: ムジェッロ・サーキットに向かう途中で。草むらに突如現れるフェラーリを模したと思われるオブジェ。

ムジェッロ・サーキットに向かう途中で。草むらに突如現れるフェラーリを模したと思われるオブジェ。

レース期間中、周辺の宿やアグリトゥリズモは、毎回大繁盛となる。サーキットからクルマで約7分ほどのところにあるスカルペリーア・エ・サンピエロ(以下スカルペリーア)も、そうした宿が数々あるエリアだ。

画像: スカルペリーアの旧市庁舎は15世紀に歴史をさかのぼる。サンピエロ町と合併する前は、長く市役所として使われていた。

スカルペリーアの旧市庁舎は15世紀に歴史をさかのぼる。サンピエロ町と合併する前は、長く市役所として使われていた。

人口1万2千人のこの村は、高級ナイフ産業で知られる。毎年秋に開催される「ナイフ祭り」では、多くのプロやアマチュアが自らの作品を展示・販売するほか、遠くアメリカなど海外からも人々が訪れる。

一部工程の外注化が進んだなかでも、市内で全工程を手掛けている数少ないナイフ製作工房「フォンターニ」は、アレッサンドロ氏とヤコポ氏という2人が営んでいる。

画像: カスタムナイフ作りを生業とするアレッサンドロ・フォンターニ氏(右)とヤコポ・ガニャルリ氏(左)。全工程を手掛けられるナイフ職人としては、町内で最も若い。

カスタムナイフ作りを生業とするアレッサンドロ・フォンターニ氏(右)とヤコポ・ガニャルリ氏(左)。全工程を手掛けられるナイフ職人としては、町内で最も若い。

画像: 2人が手掛けるブランド「フォンターニ」。小さな店内だが、オーダーは世界中から舞い込む。

2人が手掛けるブランド「フォンターニ」。小さな店内だが、オーダーは世界中から舞い込む。

なぜナイフなのか?を地元の人に聞くと、意外にも地理と関係があった。

旅人の必携品から

2人は店の前を通る1本の街路を指した。一方通行路と、左側に縦列駐車用のゾーンがあるだけの道だ。しかし、それは、れっきとした県道である。

画像: スカルペリーアの旧市街を南北に貫く一方通行路は、実は県道である。

スカルペリーアの旧市街を南北に貫く一方通行路は、実は県道である。

彼らは説明する。「これはフィレンツェと北のボローニャを結んでいた、まさに旧街道です」。
フィレンツェが栄えた15世紀に旅人に往来が盛んになったのにあわせて、周辺に宿が増えていった。

16世紀に歴史をさかのぼる旧市役所・ヴィカーリ宮殿には、古来から旅人の安全を守る守護聖人として崇められ、今でもたびたび日本でいうところの交通安全ステッカーにもなっている「聖クリストフォロス」のフレスコ画が残る。

画像: スカルペリーアの旧市庁舎入口に描かれた聖クリストフォロス。伝説では、幼いキリストを担いで川を渡ったという。

スカルペリーアの旧市庁舎入口に描かれた聖クリストフォロス。伝説では、幼いキリストを担いで川を渡ったという。

ボローニャとの間には、今もアペニン山脈が横たわり、スカルペリーアは、それを超えるジョーゴ峠を前にして最後の町であった。

旅人たちは、住民が自ら作り、農作業や食卓で使っていたナイフに注目。そして携行した食材を切るなどのためにナイフを買い求めるようになった。
そのためスカルペリーアではナイフ作りが盛んになり、その高いクオリティは各地に伝えられていった。
碓氷峠の麓・群馬県横川の弁当が「峠の釜めし」であることからすると、こちらはさながら「峠のナイフ」である。
町内には古い刃物工房跡もあって公開されている。案内してくれたガイドによれば、個々の工房が家族やごく少数の職人で営まれていたのは、技術の流失を防ぐためだったという。

画像: 20世紀初めから1970年代まで使われていた刃物工房跡。

20世紀初めから1970年代まで使われていた刃物工房跡。

画像: 工房跡に残されている当時の工具。

工房跡に残されている当時の工具。

その後、複数回にわたる大地震や、18世紀中盤に開通し、今日でもヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」のコースになっているフータ峠が開通すると、スカルペリーアは衰退する。

しかし、1861年に半島が統一された後に誕生したイタリア王国は、パリ万博などに参加し始める。そうしたチャンスに、スカルペーリアの刃物職人たちは積極的に出展し、国外に市場を開拓した。

近年は、前述のように、より手工芸的なカスタムナイフ志向を強め、世界のファンの垂涎の的となっている。フォンターニの2人も、1本を仕上げるのにおよそ3週間をかける。

画像: フォンターニによるカスタムナイフから。ケースは水牛などの角から作る。

フォンターニによるカスタムナイフから。ケースは水牛などの角から作る。

画像: こちらは同じフォンターニによる髭剃り用ナイフ「バーチャミスービト」。Baciamisubitoとはイタリア語で「すぐにキスして」の意味。

こちらは同じフォンターニによる髭剃り用ナイフ「バーチャミスービト」。Baciamisubitoとはイタリア語で「すぐにキスして」の意味。

画像: 彼らの店は、500年以上もの間、人々が往来した街道に面している。

彼らの店は、500年以上もの間、人々が往来した街道に面している。

ちなみに今日、同じ区間は“アウトソーレ(太陽の道)”の別名をもつ高速道路A1号線を用いる。
フィレンツェ-ボローニャのインターチェンジ間は、クルマで僅か30分ちょっとである。
いっぽうで当時は、道を阻む枝を切り落としたり、場合によっては出没する盗賊から身を護るためにもスカルペリーアのナイフを買い求めていたという。
旅が、今とは比べ物にならないくらい冒険に満ちていた時代。はからずもそれに思いを馳せたサーキットの里だった。

画像: スカルペリーアの町内で。イタリア自動車クラブが20世紀中盤に貼り付けたと思われる道路標識が今も残されていた。

スカルペリーアの町内で。イタリア自動車クラブが20世紀中盤に貼り付けたと思われる道路標識が今も残されていた。

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