イタリアのクラシックカーラリーとして世界的に知られるMille Miglia(ミッレミリア)。この公認イベントで、日本でも毎年開催されているLa Festa Mille Miglia(ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア)現在のかたちで開催されるようになったのが1997年。令和元年、23回目のラ・フェスタが10月25日~28日まで今年も開催されました。一番新しいクルマでも半世紀ほど前に誕生したクルマたちによる、秋の東北を巡るクラシックカーラリーに、レッカーサポートとして参加させていただきました。ハードでエレガントな4日間をちょっと違った視点で振り返ってみたいと思います。

クルマの「首が座った」のはミッレミリアのおかげ?(ミッレミリアとは)

もう少しこのミッレミリアについて、紹介しましょう。そもそもは、1927年に始まった公道を使用した自動車レースです。ミッレミリアとはイタリア語で1000マイルを意味します。つまり、1600をいかに早く走り抜けることができるかを競うレースでした。北イタリアのブレシアをスタートし、ローマを廻って再びブレシアに戻る約1600キロの道のり。一言で言っても、道路も今のハイウェイのようなものが整備される以前、自動車黎明期に、クルマの通行を主眼に開発されたわけではない道を1600キロ走破するだけでも相当難儀だった時代に、そこでスピードを競っていました。こうした環境で、世界中のメーカーが、性能を競っていた舞台がこのミッレミリアだったのです。今でこそ、低環境負荷で安全を重んじるクルマづくりがなされていますが、それは、十分に便利で高性能だから、それは当然のこととして、さらにその先の付加価値であることがらが開発競争の中心になっているのです。そう考えると、まだ、クルマの利便性も性能も信頼性も不十分だった時代に、クルマのベースを上げたそういう極限的環境おひとつでもあったのです。いわばクルマの成長過程でようやく首が座ってきたような段階。この北イタリアの1600キロの舞台が貢献した部分は計り知れないと言って良いでしょう。そういう極限状態ですから事故も当然起こります。1957年大きな事故が原因で、一度このレースはその歴史に幕を下ろすことになります。

しかし、それから20年経った1977年、タイムトライアル形式のクラシックカーラリーとして復活。1957年までに製造されたクルマが1600キロを走り、途中チェックポイントを巡りゴールを目指すという形式で開催され、世界で最も美しい自動車レース、クラシックカーレースの最高峰として世界中に知られる存在となりました。

筆者にとってのラ・フェスタ・ミッレミリアとクラシックカーイベント

一方、そのイタリアのミッレミリア公認のイベントがいくつもあって、1992年、時はバブルの余韻も色濃かったその年に第一回目が開催され、世界中の博物館に収蔵されている往年のミッレミリアのウィナーマシン、ドライバーなども来日して華々しく開催されました。その後しばらく置いて、1997年から、東京を出発し東北地方を巡るクラシックカーラリーとして、すっかり秋の風物詩になっています。

縁あって今ではクラシックカーのイベントの取材なども年間を通じたびたびお邪魔している筆者ですが、初めてクラシックカーの魅力に気づかされたのが、この1992年のラ・フェスタ・ミッレミリアでした。優美なデザイン。グランプリマシーンでも抑えることのできない華やかさ。またその姿からは想像できない、雄々しくたくましい。そして長い時を経ても現役のクルマに引けを取らずに走る機械としての精緻さ、力強さ。なにか冷たい金属的で無機質な機械とは真逆の愛おしさを感じさせる温もりを感じたものでした。

とは言え、自分には無縁の世界だろうと思い、ある種の畏敬と、壁も感じたはじめての自動車に対する体験だったように記憶しています。

けれども、いろんな経緯から会社を飛びだし、ライターとしての下済み、などという建設的あり優ではなく、とにかくその日を前向きに過ごさなくてはならないと、がむしゃらになっていた時にいただいたのがザ・コンクール・デレガンス・ジャパン2013のお手伝いでした。

そして、時を経て、私のところには積載車がやってきました。これで運ぶ機会も、イベント関係などで特殊で希少なクルマを運ぶことが少なくなくなりました。今年は春に京都のコンコルソ・デレガンツァのアフターツーリングにもサポートカーで帯同させていただきました。また、実はこのラ・フェスタ・ミッレミリアと同じ時期に、世界的に貴重なフィアット・チクエチェントを集めた「チンクエチェントミュージアム」が、山形県の鶴岡から名古屋に引っ越すことになり、このお手伝いもさせていただくことに。そんな中で、自分のクラシックカー入門にもなった「ラ・フェスタ・ミッレミリア」を、サポートとしてではありますが、一緒に走るお誘いをいただいたのは「うれしい」「光栄だ」以上に感慨深いものだったのです。

画像: 美しい。バッジ一つを取ってみても。

美しい。バッジ一つを取ってみても。

台風の影響で直前にルート変更も!大変な時こそ災害復興を応援するために走らねばならないのだ!

他方、今回の開催は、前週、各地に爪痕を残した台風19号の影響も受けました。開催前週に行われた、スタッフの直前打ち合わせの段階では、被害状況も十分にわかっていない部分もあったルートの状況。最終ルート確定は開催前日にという判断が示されます。

しかし、これを理由に開催を延期するということはない、という方針も同時に発表されました。東日本大震災の時も、同じ主催者が開催している「ラ・フェスタ・プリマベーラ」の開催が直前まで迫っており、かなり開催を苦慮したものの、とにかく、できる部分は予定通り行うという判断で開催したのだそうです。最低限の配慮は必要であったとしても、そういう時だからこそ、何もなければ普通に行われていたであろうイベントを当然に遂行する。今回もそうですが、全てが停滞し、稼働できる部分まで自粛で停滞することは、全体の復興の足までも一層引っ張ることになりかねないという判断でした。今回も、ところどころルートの変更をしつつも粛々と遂行し、また各チェックポイントで募金活動も行うことになりました。

イベントを通して改めて感じたことでもあるのですが、クラシックカーラリーは紳士のスポーツなのです。停滞するのではなく、あくまでも前向きに。さらにできる貢献は最大限に行う。こうしたところに「be gentle」の精神を感じました。

直前ミーティングからラ・フェスタスタートまでの間に2000キロ走る予定が既に入っており・・・

スタート前でだいぶ字数が進んでしまいました。実は今回ラ・フェスタ・ミッレミリアを伴走するのが決まったのは開催までひと月と前ではなかったタイミング。すでに、チンクエチェントミュージアムの山形・名古屋お引越しに手伝いで行き来する予定や、自走困難なクルマのレッカーなども予定がかなり入っていた中でのこと。開催前週のミーティングの後、スタートまでに、首都圏近郊のレッカーの後→青森→鶴岡→名古屋→スタート前日と2000キロほどの予定が入っていました。ただただ「事故するわけにはいかない」という緊張感で一杯になります。どうにかこうにか、開催前日、再びスタートの明治神宮に帰還しました、ゼッケンをクルマに貼ってあとはスタートを迎えるばかり。令和初のラ・フェスタ・ミッレミリア。無事エントラントが4日間のドライブを終えられることだけを祈るばかりです。

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