
25年来のしっくりグルマ 『ルノー4』
1992年、私が生まれて初めて販売したクルマがルノー4(キャトル)でした。
当時勤めていたCモータースで通算20台は販売したと思います。
実は、この世で最も自分に合っていると思うクルマはルノー4です。
先日、クルマのリズムについて書かせていただきましたが、キャトルには素の状態の私がものすごくほっとするリズムと乗り味が充満しているんです。それは意識や興味という次元を超えて、自分の発する固有周波数とシンクロするような本能的な安堵感。血を分けた家族と触れ合った時にのみ感じ得る身体マージ感がキャトルと私の間にほとばしるんです。
ですから、今キャトルを二台したためておりまして、足すとユイットな状況なんですが、経済と時間の余白が出来たら、素敵な一台を作りたいなと思っております。あがり用のキャトル計画です。。
そういえば、そのうち一台は雑誌にも取り上げていただきました。
そうだそうだ。もう一つ思い出しました。23年前に結婚する時、妻に「愛車どうしようか?」と聞いて、彼女の希望も「キャトルがいい!」というものでしたっけ(その時はアウトビアンキA112になりましたが)・・・きっと許してくれるな。これは。大丈夫。出来上がったら言えばいい。喜ぶに違いない。。。

12年10万キロを共にしたルノー カングー
ところで、我が家では、12年間愛車としてカングーに乗っておりました。
昨年、シトロエンC4ピカソに乗り換えたのですが、このカングーは今も私の職場で働いてくれています。
私のルノー愛車歴は、シュペール5→ルーテシア2RS→カングーという流れですが、やはりシュペール5を始め、仕事で乗ったR4、R19、R21、R25、ルーテ1あたりまでのライディングフィールが身体を支配してしまう病気にかかっていますので、2005年当時のルノー車選びはカングー一択でした。当時はうっすらさっぱりライトな味わいながらも、ルノーライド感が残っている唯一の車種だと感じました。それから12年、あまりにも便利であまりにもちょうどいい存在のカングーは「代わりが見つからない」相棒として働いてくれました。ある時期に流れた、某国産メーカーのCMを見るたびに「This is サイコーにちょうどいいルノー」というフレーズを口ずさんでいた小カングーオーナーは私だけではなかったと思います。

ヤレ・カレは熟成なり

さて、このブラン号(カングーの愛称です・・)、約10万キロを走りました。
普通はそこそこですが、我々欧州車乗りにとっては大したトラブルにも見舞われず、ギシギシゆらゆらコトコトすぅ~っとユルユルに走ってくれます。
このユルさが真骨頂だな・・・と思うのですが、一つ感じていることがあります。
「10万キロを目前に、先祖返りしてないか??」
というものです。
つまり、脚やボディがヤレたりカレたりするに従って、ルノーライド感がキャトルに近づいているのではないか?!
という仮説であります。
これは、DNAがもたらす絶対的なルノー家の成熟のカタチなのか、私自信が現代のクルマに慣れ親しんだ事により、当時薄味だと思っていた味わいが、今乗ると濃い口の味わいに感じる様になった相対的浮き彫り感なのか、そこは解明しきれないでいるのですが、100km/hくらいで、真っ直ぐな高速を真っ直ぐ走る時のストレートな快楽は、そこはかとなくキャトル風味を感じさせてくれるようになってきたと思います。


少なくとも言えるのは、新車から何も変えていない足回りとシートのヤレ感が、キャトル風味を強く味あわせてくれていること。
つまり、ショックやブッシュをリフレッシュしてしまったが最後、このユルユルな枯れ感は失われてしまうであろうということです。
ブラン号は、第二の人生をレンタカーとして働くことになりまして、そのためにスロットルボディやインマニのOリングなど、弱い部分はきっちりリフレッシュしたのですが、ショックアブソーバーは大いに悩んだ挙げ句、しばらくはこのままでいくことにいたしました。
10万キロ走った結果の「劣化」であれば即対策するのが当たり前のレンタカー仕上げですが、カングーのコレは「劣化」でなく「熟成」なのであって、今カングーをお貸し出しすることの最大の意義は、失われゆく「ルノーライディングフィール」を体感して頂くことに他ならず、しかるにその美味しいところを味わっていただかなくてどうするっ?!という観点から、ユルユルのままお貸し出しすることにしたのです。
4とカングーとともに枯れてみようと思います
と、いうことで、ソウルメイトのような存在の二台のルノー。
カングーは目指せ20万キロ!と言った感じで、ヤレカレ感の熟成を見極めてまいりたいと思います。
一方のキャトルは、そうですね、今年中に出来上がれば良いですよね。。こちらは枯れきった老体をリフレッシュして、私らしいアンチエイジングを目指したいと思います。
一見逆のアプローチで余生を過ごす私の二台の相棒ですが、兎にも角にも、その首謀者たる私はだいぶヤレたり枯れたりしているわけで、私と、カングーと、キャトルのヤレカレ感のバランスがピッタリ来る瞬間が訪れたらさぞかし楽しいだろうなと思います。
そこで初めて分かるんでしょうね。カングーとキャトルのDNAが同じものかどうか。興味深いと思いませんか?

いつまでこの環境を維持できるか分かりませんが、このような野望を抱きながら、妻の寛容なる精神の熟成をも育みつつ、今日もコトコトすぅ~っと、ルノーライドに舌鼓。
どうでもいいですけど、ゆるいルノーに乗り込むときって、温泉に浸かる瞬間とにてますよね。
あーっ。ふうー。って声が出そうになります。
かくして、私の長湯はまだまだ続くのです。
いい湯加減です。