前回【メーカーに歴史あり】と題して、ゴルフ以前のVWのラインナップはすべてリアエンジンだった、というお話をしました。VWといえばビートル(タイプ1)、そして世界各国のメーカーがベンチマークにするゴルフが代表的なクルマですが、その間をつなぐ過渡期のマイナーな車種にもスポットを当てています。

記事を読んでいただいた方からは、「あの有名なVWなのに、ゴルフの前の車種は全然知らなかった」と反響をいただきました。そこで今回も有名メーカーの過渡期やあまり知られていないモデルに注目する【メーカーに歴史あり】の第2回をお送りいたします。

今回取り上げるのは同じくドイツ、VWグループのアウディです。アウディもまた、知名度やユーザーの多さに比べると1960〜1970年代の車種があまり知られていないメーカーと言えるでしょう。

ですがそちらを紹介する前に、まずアウディの歴史を簡単に辿ってみようと思います。

画像: www.firmenauto.de
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アウディの「フォーシルバーリングス」は4社合併の歴史的証人

アウディの歴史を遡ると1901年にアウグスト・ホルヒが創業した「ホルヒ」が始まりの一つに挙げられます。しかし1909年には早くもクルマ作りの姿勢でホルヒと経営陣の間でいさかいが起き、創業者だったホルヒは会社を追われることになりました。

そこでホルヒは「新ホルヒ」を立ち上げますが「元祖ホルヒ」にそれを禁じられ、自らの自動車会社の名を「アウディ」と命名しました。ホルヒはドイツ語で「聞く」という意味に関連する言葉なのですが、アウディもまたラテン語で同様の意味を持つ単語だったのです。そして創業者と袂を分かった元祖ホルヒは超高級車メーカーの道を歩み、新ホルヒであるアウディは高級車を次々と生み出すとともにモータースポーツでも活躍しました。初期にはホルヒ自身がステアリングを握りラリーで優勝したこともありました。

画像: 【アウトウニオンのエンブレム】 現在もアウディで用いられるフォーシルバーリングスの原型。4つの輪はDKW、ヴァンダラー、ホルヒ、アウディの4社を示す。 www.favcars.com

【アウトウニオンのエンブレム】 現在もアウディで用いられるフォーシルバーリングスの原型。4つの輪はDKW、ヴァンダラー、ホルヒ、アウディの4社を示す。

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その頃ドイツの自動車メーカーでは、大きな動きが起きていました。まずオペルがアメリカのGM(ゼネラル・モータース)に買収され、フォードもケルンに現地法人と工場を設けました。第一次世界大戦後の不況や1929年に起きた世界恐慌の影響も大きく、ドイツの自動車メーカーたちは危機感を募らせました。

そこで1932年、DKW(デーカーヴェー)、ヴァンダラー、そして前述のホルヒとアウディという4つのドイツ国内メーカーはアメリカ資本メーカーと戦うために、そして生き残るために集結し「アウトウニオン」(自動車連合の意)を4社合併で立ち上げることになりました。現在でもアウディのエンブレムとして使用される4つの連続した輪「フォーシルバーリングス」は、アウトウニオン時代から使われているエンブレムだったのです。4つ輪には4社合併の歴史が込められているのでした。

画像: 【アウトウニオン・タイプC】 1930年代にレースを席巻したアウトウニオンのレーシングカー。ホルヒが開発を手がけた。タイプCは6ℓV16+ルーツ式のスーパーチャージャー付きエンジンから520psと最高速度340km/hという途方もない性能を得ていた。 www.favcars.com

【アウトウニオン・タイプC】 1930年代にレースを席巻したアウトウニオンのレーシングカー。ホルヒが開発を手がけた。タイプCは6ℓV16+ルーツ式のスーパーチャージャー付きエンジンから520psと最高速度340km/hという途方もない性能を得ていた。

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アウディはアウトウニオンのブランドの一つへ、そして一時的に消滅

当初のアウトウニオンでは4社が棲み分けられていました。大きく分けると超高級車はホルヒ、高級車をアウディが、中型車をヴァンダラーが、大衆的な小さなモデルをDKWが担当、これによってフルラインナップを持つに至りました。つまり、この頃アウディはメーカー名ではなく、「いちブランド」だったのですね。

しかし1939年頃から第二次世界大戦が勃発したことでヴァンダラーは軍需品メーカーへ、ホルヒは軍用車メーカーに転身、アウディも製造が中止に。戦火はアウトウニオンの工場を襲い、戦後はドイツが分割されたことで一部の生産設備が「東側」へ渡ってしまうなどアウトウニオンに大きな影響を与えることになりました。

戦後、疲弊した経済を立て直すべく各国が小型大衆車から復活して行ったのと同じように、アウトウニオンも「DKW」ブランドで2ストロークの大衆車生産を行って再出発。1956年からはダイムラー・ベンツグループに入り、50年代末期には「アウトウニオン1000」という初めてアウトウニオンを車名に冠したモデルも登場。同車は当時まだ革新的な技術だった前輪駆動(FF)を採用していたことで知られています。

画像: 【アウトウニオン/DKW F102】 1963-1966 アウトウニオン/DKW最後の2ストロークエンジンを搭載していた。ボディは最初のアウディ「F103」に用いられた。 www.favcars.com

【アウトウニオン/DKW F102】 1963-1966 アウトウニオン/DKW最後の2ストロークエンジンを搭載していた。ボディは最初のアウディ「F103」に用いられた。

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現代アウディのルーツは1965年の「アウトウニオン・アウディ」

そして、ここからいよいよ現代のアウディに至るモデルのお話に入りましょう。

1960年代に入ると、高性能な2ストロークエンジンの小型車を作ってきたアウトウニオンの技術をもってしても、開発が進んだ4ストロークエンジンの前ではもはや性能向上や排ガス対策は限界を迎えていました。アウトウニオンは1963年に「アウトウニオン1000」の後継モデルとして近代化したボディを持つF102を発表しますが、エンジンはまだアウトウニオン/DKW伝統の3気筒2ストロークユニットでした。

しかしついにアウトウニオンは2ストロークエンジンを捨て、4ストロークへの移行を検討し始めることになります。そこで選ばれたのが、先ほどの新型車DKW・F102だったのです。アウトウニオンはF102に4ストロークエンジン搭載にあたり、かつて彼らが持っていた先進性溢れるブランド「アウディ」を与えることにしました。時は1965年、ここで晴れて現代のアウディの直接的な始祖となる「アウトウニオン・アウディ(F103)」が日の目をみることになったのです。

画像: 【アウトウニオン・アウディ(F103)スーパー90】 1965-1972 アウトウニオン F102をさらに近代化した戦後初のアウディがF103。現在のアウディへの潮流はここから始まった。スーパー90は途中で追加された上位モデルで、90は最高出力を示した。 www.favcars.com

【アウトウニオン・アウディ(F103)スーパー90】 1965-1972 アウトウニオン F102をさらに近代化した戦後初のアウディがF103。現在のアウディへの潮流はここから始まった。スーパー90は途中で追加された上位モデルで、90は最高出力を示した。

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「アウトウニオン・アウディ F103」はDKW・F102をベースにさらにモダンにブラッシュアップ、グリルセンターには大きくフォーシルバーリングスが輝きました。エンジンはダイムラー・ベンツが開発した72psを発生する4ストローク1.7ℓ直4OHV。縦置きに搭載されて前輪を回し、車名はその最高出力から数字を取った「アウディ72」を名乗りました。まだまだDKW色が濃いながらも、縦置きエンジンのFFという現代アウディの基本構成はここで出来上がっていたのですね。しかし一方アウトウニオン・アウディの登場によって、長い間親しまれたアウトウニオン/DKWのブランド名もついに消滅することになりました。

なお同年、アウトウニオンは1965年にフォルクスワーゲン(VW)傘下に組み込まれたほか、1969年にはNSU(エヌエスウー)と合併。社名を「アウディNSUアウトウニオンAG」としています。また、現在の社名「アウディAG」になったのは、それからさらに遅く1985年のことでした。

アウディの数字シリーズ車名「80」「100」なども登場

画像: 【アウディ100(C1)】 1968-1976 アウディF103を一回り大きくしたフラッグシップモデル。100という数字は最高出力ではなく、「シリーズ」名となった。アウディ100はその後4世代を重ね、1994年にA6にシリーズ名称を変更している。 www.favcars.com

【アウディ100(C1)】 1968-1976 アウディF103を一回り大きくしたフラッグシップモデル。100という数字は最高出力ではなく、「シリーズ」名となった。アウディ100はその後4世代を重ね、1994年にA6にシリーズ名称を変更している。

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アウディ72は翌1966年に「アウディ80」「アウディ・スーパー90」、1968年には廉価版の「アウディ60」を矢継ぎ早に追加します。車名の数字はこちらも最高出力を表していました。1968年になって72と80が一つにされて「アウディ75」となり、ワゴンボディの「バリアント」も登場しています。このころはまだVWとのブランド住み分けはされていなかったのですが、アウディはこの時代に既に「上質で先進的なモデル」というイメージづけに成功していました。

続いてアウディは、中型車だったアウディF103の上位車種としてミドルクラスの「アウディ100(C1)」が登場したのは1968年のこと。アウディ100はDKW時代の設計から脱却した全く新しいモデルでした。上品で美しいスタイリングとFFによる広い室内、高い品質と仕上げを持ち、F103同様ダイムラー・ベンツ設計の直4OHVユニットを積んでいたアウディ100は一気にBMWやメルセデス・ベンツなどと肩を並べるほどの存在となりました。数年前までDKWという大衆車を作っていたメーカーがわずかな期間で急激にプレミアムな雰囲気を獲得していたことは驚きです。

登場後幾つかのエンジンバリエーションや流麗なスタイルのクーペを追加した初代アウディ100は、1976年に2代目(C2)にバトンタッチして戦後アウディ初の旗艦の役目を終えることになりました。なおこのモデルは最高出力に関係なく車名は「アウディ100」です。

一方のF103は1972年に新生アウディ80(B1)と入れ替わるようにして生産を終了しています。F103で設定されていた「アウディ80」と車名こそ同じですが、新しいアウディ80は初代アウディ100同様に “アウディ80シリーズ” として登場しているため、初代アウディ80はこの「B1」からカウントが開始されることになっています。

画像: 【アウディ80(B1)】1972〜1978 ジウジアーロが手がけたシンプルなデザインが好ましい傑作サルーン。1972年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。アウディ80は4世代目まで存在し、現代の基幹車種であるアウディA4(1995〜)となった。 www.favcars.com

【アウディ80(B1)】1972〜1978 ジウジアーロが手がけたシンプルなデザインが好ましい傑作サルーン。1972年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。アウディ80は4世代目まで存在し、現代の基幹車種であるアウディA4(1995〜)となった。

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各メーカーに、歴史あり

こうして調べてみると、思いの外「現代アウディ」が新し目のメーカーだということにも気がつきます。また、国産だと多くの人々に1960年代の車種は知られていますし、例えば日本でも海外メーカーのアルファロメオやシトロエンでは古いモデルの陣容も多くのファンに知られ、上陸している台数も多い中、アウトウニオン1000やアウディ始祖のF103、初代80や100などは知名度も高くなく、また日本では趣味の対象にしている人をあまり見かけません。そこで今回は「そういえば昔のアウディって知らないよね」というもやもやしたゾーンにフォーカスを当ててみました。いかがだったでしょうか。

それぞれのメーカー、そしてメーカーが今出しているモデルには、このように必ず「背景」「歴史」があります。その歴史を次回もまた紐解いてみようと思いますのでお楽しみに。

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