皆さん、こんにちは。 ラッキーの保護者です。
私め、ミーハー(死語?)なので、何事も見た目から入ります。なので、いくら性能が良くて人気のあるバイクやクルマでも、そのデザインが自分の感性に合わないモデルには興味を惹かれません。
そんな私がこよなく愛するのが、他の民族では真似が出来ない妖艶な “イタリアン・デザイン” です。
そこで、今回より不定期にて、私が敬愛して止まない 3人のイタリア人デザイナー及び、その作品について、ご説明及びご紹介をしたいと思います。

2輪界の鬼才、マッシモ・タンブリーニ。

まず今回 ご紹介するのは、ビモータ(BIMOTA)の創設者の 1人である、マッシモ・タンブリーニ(Massimo Tamburini)氏です。

    

BIMOTA 時代 ~ 空調機器会社から、バイク・メーカーへ。

'66年に同氏は、友人同士であった ヴァレリオ・ビアンキ(Bianchi)、ジュゼッペ・モーリ(Morri)と共に、 3人の名字から頭のアルファベット 2文字を取って "BIMOTA" を設立しました。

元々 同社は、油圧&空調機器を製作する会社でしたが、生粋の 2輪好きであった タンブリーニ が
ホンダCB750 でクラッシュしたのをきっかけに、バイクとの関わりを深めていきました。具体的には、空調工事の仕事で培った技術を生かし、オシャカになった CB750 用のフレームを独自に製作、タンブリーニ はこのバイクでレースに出場することを目論んだのでした。

そのマシンは「HB1」と名付けられ、"イモラ200マイル" への出場を目指しましたが、実際のレースには間に合いませんでした。しかし、パドックに現れた HB1 は多くの人の注目を集め、内 何人かのライダーは HB1 を欲しがりました。そして実際に購入したスイス人ライダーが HB1 での初めてのレースで優勝したため注文が殺到、タンブリーニ と モーリ(この時点で ビアンキ は会社を離れていました)は、'73年、本業とは別に "ビモータ・メカニカ" を立ち上げ、バイク用パーツを製作するようになりました。

同社は、レーシングマシン用フレーム&スイングアーム、ステップ、ホイール、フューエルタンク、そしてカウリングを製作して成功を収め、バイク造りのノウハウを蓄積しながら公道用モデルとなるコンプリートバイクを造る準備を進めました。

その初期の作品が「SB2( SB1 は 純レーサー)」で、プロトタイプが '76年の ボローニャショーで発表されました。このオリジナルモデルは、スズキGS750 のエンジンを使用し、燃料タンクがエンジン下に配置され、エキゾーストパイプはエンジンの上を通り、サイレンサーは写真のウインカーがある位置から飛び出すという非常に斬新なものでした。しかし、このレイアウトは熱や燃料ポンプの問題で却下され、市販モデルでは通常のタンク位置に戻されたものの、アルミ製のタンクがフロントカウルとセットでデザインされたシートカウルと一体となったボディシェルに内蔵されるなど、タンブリーニ ならではの革新的なモデルでした。

画像: 「BIMOTA SB2」:Photo from http://www.motorcyclespecs.co.za/model/bimota/bimota_sb2%2077.htm

「BIMOTA SB2」:Photo from http://www.motorcyclespecs.co.za/model/bimota/bimota_sb2%2077.htm

この SB2 は GS750 の 2倍以上の価格であったにも拘わらず、その独創的なデザインが好評を博し
140台が生産され、ビモータ 初のヒット作となりました。これに勢いづいた同社は KB1('78年)、SB3('80年)、KB2('81年)、HB2('82年)、KB3、SB4、HB3('83年)と立て続けにヒット作
を輩出しましたが、バイクメーカーとしての ビモータ の技術面を引っ張っていた タンブリーニは、経営面を担っていた モーリ と意見が衝突して、'83年をもって同社を去ることとなりました。

    

CAGIVA への移籍。

ビモータ から独立した タンブリーニ は「タンブリーニ・デザイン」を設立、それに目をつけたのが、当時 飛ぶ鳥を落とす勢いであった カジバ(Cagiva)の社長である クラウディオ・カスティリオーニ(Claudio Castiglioni)氏でした。タンブリーニ の才能を認めていた彼は、早速 タンブリーニ・デザイン に出資して、CRC(カジバ・リサーチ・センター:Cagiva Research Center)を設立、
タンブリーニ をその責任者に抜擢したのです。

その動きと並行して カジバ は、’83年にドゥカティと提携し、その後 資金難に陥った同社を '85年に買収しました。

そして、タンブリーニ が カジバ に移籍して初めてデザインしたのが '86年に登場した「ドゥカティ・パゾ」でした。同車は、"ラテラル・フレーム" と称する、クロモリ製角パイプによるトップチューブがエンジン側面を通るという珍しい形状のダブルクレードルフレームを採用、フレームやエンジンが
殆ど見えないほど徹底して車体を覆うフルカバード・ボディがその特徴で、これは単なるデザインに留まらず、空気抵抗の低減や走行風から乗員を守るという一般的な目的のほかに、走行風を積極的にエンジンや冷却器(オイルクーラー)へ誘導して、その冷却を促す役割も担っていました。

画像: 「DUCATI 906 PASO」:Photo from http://www.motorcyclespecs.co.za/model/ducati/ducati_906_paso.htm

「DUCATI 906 PASO」:Photo from http://www.motorcyclespecs.co.za/model/ducati/ducati_906_paso.htm

最初は 750 から始まったこのシリーズは、'89年に「906 パゾ」、'91年には「907 ie」へと進化し、
'92年まで生産されました。

「916」シリーズの登場。

'85年に カジバ の傘下となった ドゥカティ は、それまで以上に レース活動に注力して、'88年には「851」、’92年には「888」を発売、スーパーバイク世界選手権にて '90年から '92年まで 3年連続チャンピオンを獲得します。しかし、'93年にその座を カワサキ に明け渡してしまったこともあり、888 に代わる全く新しいモデルを登場させる事になりました。それが「ドゥカティ916」です。

その開発の総指揮を執ることになったのが マッシモ・タンブリーニ でした。彼は、同社のアイデンティティである「L型デスモドロミックエンジン」や「鋼管トレリスフレーム」に変更を加える事はしなかったものの、それ以外の全てを新しく設計し直すこととしました。まずは徹底的な軽量化から始められ、同時に Lツインの特徴を活かすためフレーム形状も一新されて、全福がかなりスリムになり、従来の 851 や 888 のグラマラスなデザインから大きくシェイプアップされました。

そして、何よりも タンブリーニ の真骨頂を見せたのがスタイリングです。その独特なデザインである「左右別体式異形ヘッドライト」や「片持ち式スイングアーム」「センターアップ・マフラー」は今ではどれも目新しいものではありませんが、当時としては画期的かつ独創的なものでした。

画像: 「DUCATI 916」:Photo from https://motorbikewriter.com/top-motorcycle-designer-passes-away/

「DUCATI 916」:Photo from https://motorbikewriter.com/top-motorcycle-designer-passes-away/

その結果、この 916 は、'94、'95、'96年及び '98年のスーパーバイク世界選手権にて チャンピオンを獲得、'98年には「996」に進化、'99年、2001年 にもチャンピオンに輝き、更に 2002年には「998」へと発展するなど、レースの世界だけでなく商業的にも大成功を収めたのでした。

    

「MVアグスタ」の復活。

ドゥカティ916 シリーズの成功の傍ら、カジバ の社長である カスティリオーニ は「MVアグスタ」の商標権を '92年に取得、栄光ある伝説的ブランドの復活を目指しました。

そして、それを全面的に任されたのが タンブリーニ でした。かつての MVアグスタ の快音と華麗さに心酔していた 2人は機会のある度に "あの華麗な世界をもう一度 現実のものに出来ないだろうか" と夢を語り合っており、それを具現化しようとしたのが「F4 プロジェクト」でした。

そのため '90年代半ばには、カスティリオーニ社長がフェラーリに 4気筒エンジンの設計試作を依頼したとの噂が飛び交い、一見 916 風の外装を纏いながらも Lツインとは違うサウンドを奏でる謎のバイクがボローニャの街で目撃されたのでした。

満を持して '97年の EICMA(ミラノショー)でプロトタイプが発表されたのが「MVアグスタ F4 」です。これは タンブリーニ が初めてエンジンを含めた全てにおいて白紙から創り上げたモデルであり、'99年に世界限定 300台、日本国内では 22台が発売された「F4 セリエ・オーロ」は、ホイールや片持ち式スイングアームはマグネシウム合金、カウルやフューエルタンク、フェンダーなどの外装はカーボンファイバー製という拘りで、その妥協を全く許さない造り込みは栄光あるブランドの復活に相応しいものであり、「世界で最も美しいモーターサイクル・・・」と崇められました。

画像: 「MV AGUSTA F4 Serie Oro」:Photp from http://www.car4passion.com/listings/mv-agusta-f4-oro/

「MV AGUSTA F4 Serie Oro」:Photp from http://www.car4passion.com/listings/mv-agusta-f4-oro/

その後、やや遅れて普及版の「750S」が発売され、2002年には「750 Evo」に進化すると共に、F1 ドライバーの アイルトン・セナのメモリアルモデルである「750 Senna」が 300台限定発売。更には 750cc 最後のモデルとして「750SR / SPR」が 2004年に発売されました。そして 翌 2005年には、
750cc から 1000cc に排気量を拡大した「1000S」が登場、また かつて MVアグスタ・ファクトリーで活躍したイタリアの英雄 “ジャコモ・アゴスチーニ” 選手をモチーフにした「1000 AGO」が 300台 限定で発売され、加えて “F4 1000” シリーズのトップモデルとして、生みの親の名を冠した「1000 タンブリーニ」と「1000 Senna」が各々 300台限定発売され、更に 1000S と 1000 Senna の中間に位置付けられる「1000R」が追加されました。

そして 2006年には 1000R をベースに排気量を 998cc から 1,078cc に引き上げて、エンジン内部にチタン製パーツを使用して 最大出力を 200馬力とした「CC(クラウディオ・カスティリオーニ)」が 100台限定で、続いて 2007年には「1000R312」が登場、2009年には “F4 CC” と同じエンジンを搭載した「1078R312」に進化した後、2010年に 2代目へとバトンタッチがされました。

    

最期に!

ビモータ ⇒ ドゥカティ ⇒ MVアグスタ でその類稀なる才能を発揮、イタリアのバイク・デザインを牽引してきた マッシモ・タンブリーニ氏は、2008年をもって CRC を退社、バイク業界からは離れて別の分野でのデザインに邁進するとのことでしたが、健康状態悪化のために 2014年4月6日に死去されました。また、クラウディオ・カスティリオーニ氏も時を前後して闘病生活を続けておられましたが、2011年8月17日に永眠、それぞれ享年 70歳と 64歳でした。

技術面と経営面、その分野こそ違いますが、いずれもバイク界に多大なる貢献を果たし、明確な足跡を残してこられた お 2人の早逝を惜しむと共に、ご冥福をお祈りいたします。

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