画像: 非洗練への愛着

キカイの隙に情は宿る?

私は、iphoneとAndroidの2台持ちです。
iphoneはプライベート、Andoroidは仕事用。
この組み合わせは、過去にWebコンテンツの企画職だった時代に「サイトの表示検証機」という建前で始まった慣習で、「スマホ2台持ち」というステータスにほくそ笑む事を覚えてしまったが為に、今なお手放せないでいるのです。
この2台の組み合わせが浮き彫りにする最大の事象は、iphoneの操作性の素晴らしさ・・・翻ると「Android機へのストレス」だったりするのですが、それでもなおAndroid機を手放せない自分がいます。なぜだろう???
操作のレスポンス、正確性、安定性、どれをとってもiphoneの方が優れていると感じていますし、実際にアプリケーションもWebブラウズも、iphoneを使うことが多いのに、この洗練されていないandroidを持つことに、自分らしさを感じる安堵感を覚えます。
iphoneはクリエイティブツール。androidは過剰装備の携帯電話機。自分を紐解いていくと、こんな位置づけで使い分けている気がします。でも不思議なことに優秀なiphoneに感情が動くことはあまりないのですが、ダメな旧式OSのandroid機には情が移っている。。これがなんとも不思議なんですよね。なぜだろう???
ちょっとそのあたりを自己分析してみたいと思います。

非洗練なモノたち

画像: 非洗練なモノたち

カメラ、時計、自転車、そしてクルマ・・・思えば自分が選び愛するモノ達は、誰もが認める優秀な子が少ない気がします。
手っ取り早く身の回りにある非洗練なカメラの写真を撮ってみましたので一例としてご紹介。。

キャノン パワーショットG1X・・・その昔キャノンに「G1」というデジカメ創世記の高級コンパクト機がありまして、その再来だ!!という思いと、1.5インチという奇異なるサイズのイメージセンサーがツボで購入。実は最初に買ったデジカメはかつての名機G1でした!

SIGMA DP1S・・・レンズ屋さんがカメラボディを作った!!!というのが当時の最大のインパクトでしたが、その生い立ちの魅力に加え、ローパスフィルターレスの三層構造であるFoveonというイメージセンサーがどうしても試してみたくて購入しました。

例えばこの2台、上記の通り愛すべき理由がものすごくちゃんと存在するのですが、使ってみるとコレが結構ダメな子たちなんです。揃いも揃って、動作遅い!ピント甘い!寄れない!という三拍子のハーモニー。この2台を持ち出したなら、その日の作品成功率は1割程度・・・という強者なのです。そのかわりハマると素晴らしいんですけどね。なかなかハマらないのが現実です。それぞれの素晴らしさは、また別の機会に!

この2台以外にも、メイン機はOlyimpus E-5という、今はなきミラー付きフォーサーズ機だったり、カメラから離れても、色々と微妙な「非洗練」アイテムを選ぶ性癖があるようで、今一番名車だと言い切っているクルマは、不人気車のFIAT PANDA2(169系)だったり、そう考えると。結婚22年になる愛妻も、未だに色々洗練されてないなぁ・・・などと、しみじみ自分の性癖に思いを馳せるわけであります。

人の包容力が機械を愛するインターフェースなんだ!

画像: 人の包容力が機械を愛するインターフェースなんだ!

私がパンダ2を好きな理由は数多くありまして、それは別の機会に超大作を投稿することになると思いますが、近代フィアットにおける、非洗練なる機構の代名詞といえば「デュアロジック」と呼ばれる自動変速機能付クラッチレスマニュアル変速システムですよね。非オーナーの方を中心に、今まで実に多くの方々から「デュアロジックがちょっとなぁ~」というご意見をお聞きして、デュアロジ愛好家としてはひどく胸が痛むのですが、いざオーナーとして、腹を決めてデュアロジックと向き合い、その非洗練感に溢れたミッションを日常使いすると、一つの答えが導き出せると思うのです。
それは、

「キカイの欠点に、人が寄り添い補えば、不満は愛情へと昇華する(かもしれない)」

というもので、要は「人が機械に歩み寄りゃいいのよそんなの!」という啓蒙に近い持論なのであります。確かに、デュアロジックをオートモードで乗っていると、変速の隙間に起きる空走感に多くの人々は違和感を覚えると思いますが、毎日乗ってると慣れるんです。否、慣れるというよりも、その動作に愛着すら感じられるようになってきます。時に「そこで変速するっ?」とか「お!ブリッピング決めちゃったネ?このこのー!」などと、一人クルマにツッコミをいれながら運転を楽しんだり出来るようになります。これはもう「機械との対話」以外の何物でもありません。運転席に居ながらにして、MT車の助手席に乗ってると思えば、何て事ぁ無いじゃないですか!!

そもそも、機械に愛情を抱くという行為そのものが、機械の擬人化に近い行為なのですから、優秀な機械を愛でるタイプの方も多いでしょうが、だめな機械を人の包容力が補ってあげるところまで、その感性を高めてあげれば、機械はもっと愛せると思うのです。機械のダメなところを批判するのが評論の常識となっていますが、「こう捉えてあげればハッピーになれるよね?」という観点はあまり見たことがありません。ですから私は、身の回りにある「非洗練なるモノたち」への愛情というものを、このサイトで綴って参りたいと思います。
初投稿ではございますが、ご挨拶をかねて。
よろしくお願い致します。

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